返り血だらけのスーツを着たまま、路地裏で雨に打たれる。体がどんどん冷えていって、感覚がなくなる。頬を濡らすのが雨なのか涙なのか、自分でも判別がつかない。
こんなところで待っていても、あの人は決して迎えに来てくれないのに。
「ヒバリ!」
唐突に名前を呼ばれ、意識が現実へと引き戻された。あの人とは違う声、違う呼び方なのに、僕の目は暗闇のなか勝手に金色を探して、見つけられなかったことに絶望する。
「うわ、ずぶ濡れじゃねえか。何やってんだよ」
夜に溶け込む黒い傘から顔を出したのは、山本武だった。
血まみれの僕を見て一瞬顔を強ばらせたけれど、すぐに返り血だと理解したらしい。雨ですっかり重くなったジャケットを脱がされ、代わりに染み一つない山本のそれが肩にかけられた。
「いつまでたっても帰って来ねえし連絡もねえって、ボスが心配してんぞ」
待ち望んでいた人ではない。それでも、誰かが探しに来てくれたという事実に心の底から安堵している自分がいた。
いつから僕は、こんなに弱い人間になってしまったのだろう。どこからやり直せば、幸せな未来に辿り着けるのだろう。いくら考えても答えの出ない疑問が体の中で渦を巻き、その中心にいる人間を思い出して唇を噛んだ。
「おい、あんた具合悪いのか?」
「……ちが、う」
「どこが。そんな真っ青な顔しやがって」
今夜、限界に達した。あの人への恋しさがつもりつもって、どうしようもなく寂しくなってしまった。雨が隠してくれるのをいいことに、声を上げて泣きじゃくった。
「ヒバリ」
差し伸べられた手が、あまりにも優しすぎた。
「ん、ぁ」
「すげ締めつけてくんだけど。ヒバリ、処女みてえ」
「ばか、いうな……っ、あ、あっ!」
舌も指も腰使いも、全部あの人とは違う。たった一人しか知らない僕にとって、他人と寝ることはそれだけで新世界に足を踏み出すようなものだった。ただ、僕がとろけそうになるまで愛撫してから繋がるという抱き方だけは同じで、一度止まった涙がまた溢れてくる。
あの人からの連絡が途絶えて三ヶ月、最後に会ってから半年が過ぎた。今まではいくら忙しくても、二週間に一度は電話が鳴っていたはずだ。この状況は十分に異常だといえる。
そして今夜、聞いてしまった風の噂。
“キャバッローネの十代目が、どこぞの令嬢と見合いをしたらしい”
泣いたり喚いたりはしなかった。不思議と頭が冴えて、ああ僕は捨てられたのかと冷静に判断した。どんなに「愛してる」と言われても、いつかこんな日が来ると心の隅で分かっていたのかもしれない。
あの人が結婚する。誰かの夫に、そしていずれは父親になる。僕とは出来なかったことを、他の誰かと一緒に成し遂げようとしている。そう考えると苦しくて悲しくて、だけど同時に愛しさも感じてしまってどうにもならない。僕のDNAには組み込まれているのだ、あの人を愛せと命令する遺伝子が。
「……ディ、ノ……っ!」
涙で霞む視界に、山本の苦い表情が映った。セックスの最中に他の男の名前を呼ぶなんてベタすぎる。だけどごめん、僕が名を呼ぶ相手は世界に一人しかいないんだ。
目を閉じるとそこにはディーノがいて、あきれるくらいに愛を繰り返していて、ねえやっぱり結婚なんて嘘だったの? 勘違いしそうになってしまう。
相手が山本じゃなかったとしても、そうは変わらないだろう。誰を抱いても抱かれても、キスしてもフェラチオしても、愛はすべてディーノのもとへ。どこにいるのかも分からないディーノへの愛をほとばしらせて、いま僕はセックスをしている。
神様、なんて考えたことはない。だって僕にとっての神はディーノだから。
end.
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