骨の髄まで


 練のなめらかな肌としなやかな体は、毎回麻生に新鮮な驚きを与える。薄暗い部屋にぼんやりと浮かび上がる白い背中に手を這わせながら、麻生は今夜も感嘆の溜め息をついた。
 今までに抱いたどんな女よりも、練の体はぴったりと麻生に寄り添う。柔らかいわけではないのに、隙間を埋めるように吸いついてくるのだ。

「なにしてんの。もうへばったの?」

 小刻みに揺らしていた腰を止めて肌の感触を楽しんでいると、四つん這いになった練が不満そうな顔で振り返った。

「いや、綺麗な背中だと思って感心してた」

 尻の上から肩までを撫で上げる。鍛え抜かれた筋肉と美しい骨格を掌に感じて、麻生は目を細めた。背中だけではなく、練の体には奇跡的に傷ひとつ残っていない。鼻筋が微かに曲がっていることと胸に刺青が彫られていることを除けば、生まれたままの姿だ。
 山内練が、生きている。今、息をしている。麻生はその事実に感動して、誰にともなく感謝した。人はいつ死ぬかわからない。だが練が無事に明日を迎えられる確率は、まっとうな生活をしている人間に比べて圧倒的に低いのだ。
 人の留守中に勝手に上がりこんだ練が、狭いベッドで安らかな寝息を立てているのを見つけると、言葉にできない安心感に襲われて泣き崩れそうになる。脱ぎ散らかした服やひっくり返ったスニーカー、飲みかけのコーヒー、吸い終わったダンヒルのメンソール。練が生きている痕跡を目にするたびに、切ない愛おしさが麻生の心を満たした。

「あんたって俺の背中好きだよね。よく触ってる」
「そうか?」
「うん。実は背中フェチだとか?」
「おまえのならな」
「うわ、今すげえ恥ずかしいこと言った。年考えろよな、エロオヤジ」
「そのエロオヤジに抱いてって迫ってきたのは、どこのどいつだ」
「俺以外に候補でもいるわけ?」

 どう答えても可愛くない言葉が返ってきそうだったから、麻生は黙って練の細い腰を掴んだ。ぐっと引き寄せて揺さぶる。自分の腰を押しつける。ひっきりなしに漏れる練の甘い声は、誰かに聞かれたらまずいというより、聞かせたらもったいないと思う。相当いかれてる。
 自覚があるだけマシだと結論づけて、麻生はいったん繋がりを外して練を仰向けにした。誘うように足を開かれ、限界まで昂っていた気分がさらに燃え上がる。

「ね、早く入れて」
「おまえ、そういうこと言うなって」
「だって……あんたは優しすぎて、ときどき、もどかしい」

 練は駄々をこねるような口調でそう言い、麻生の首筋にしがみついてきた。

「俺のこと、もっと欲しがって」

 体の奥底から湧き上がった劣情が、あっという間に麻生を支配した。これはあの時と同じ感覚だ。まだローンが残るマンションの畳の上で、韮崎の誕生日に初めて練を抱いた、あの時と。
 自分たちは運命の夜の延長線上であがいている。まだ何も終わってはいないのだ。重い十字架を背負い、闇をかき分け歩き続けている。惑いながら夢見るのは、夜明けの時だ。
 連鎖反応のごとく蝉の鳴き声が脳裏に蘇り、麻生は瞬間的に溢れてくる涙を抑えることができなかった。練はほんの少し首をかしげ、それから麻生の目尻をぺろりと舐めた。



「また触ってる」

 指摘されて初めて気がついた。麻生は裸の練を抱きしめ、無意識のうちにその背中を撫で回していた。

「嫌か?」
「ううん。あんたに触られるのは好きだから」

 どうやら今夜は満足したらしく、練はとてつもなく素直に体を寄せてくる。可愛らしい頭に敷かれた腕はだいぶ痺れてしまっていたが、これなら一晩でも二晩でも我慢できそうだ。

「練、医者に骨を褒められたことないか?」
「骨?」
「ああ。骨格が綺麗だろう」
「そんなの、あんたにわかるの?」
「素人目だけどな」

 尾てい骨から背骨へ指を滑らせると、練は小さく身じろぎをした。

「ん……それ、くすぐったい」

 背中に浮いた骨を下から順に辿っていく。練を形づくる部位の一つひとつが、どうしようもなく愛おしい。

「ねえ、知ってる?」
「うん?」
「肩甲骨って、翼の痕なんだって」

 どこかで耳にしたような話だが、練に言われただけで何となく信憑性が増す。
 麻生はふと、人に向かって「俺の恋人は天使」と話してしまった時のことを思い出した。酒が入っていたとはいえ、ずいぶん恥ずかしい真似をしたものだ。

「そうか。でも人に羽がなくなってて助かった」
「どうして?」
「飛んで逃げられたらかなわん」

 腕枕をしている方の肘を曲げて練の頭を包み込み、反対側の手で背中を抱き寄せた。ふわりと漂う甘い匂いが麻生の鼻先を掠める。
 練は何か言いたげにもぞもぞしていたが、珍しく黙ったまま口付けてきた。そのキスに「逃げないよ」と「行かないで」が込められている気がして、麻生はもう一度練を強く抱きしめた。

 end. (2008/10/29)

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