廻り道


 その日は非番だった。麻生はいつもより少しだけ寝坊をして、ゴミを出し、洗濯物と洗い物を片付け、コーヒーを飲みながら朝刊を開いた。昨夜泊まっていった練は、昼近くなっても裸でベッドを占領している。
 お互いの休みが重なっている偶然に気づいて、しかもそれが数週間ぶりだということに思い至ると、麻生は練がくるまっている毛布を引きはがした。

「おい」
「なにすんのさ。寒いじゃん」
「もう起きろよ。飯でも食いに行こう」
「こんな昼間から? どういう風の吹き回し?」
「俺が非番でおまえがここにいるなんて、久しぶりだろ。いつも面白いくらい噛み合わないからな。おまえは人の都合なんて考えやしないし」

 麻生の嫌味をものともせず、練はのろのろと起き上がって伸びをした。

「今日、何日?」

 麻生が答えると、練はそうか、と言った。

「ごめん。今日は行くところがある」

 予想外の言葉に、少なからずショックを受けた。だが、練に予定があることなんて不思議でも何でもない。無防備に誘ってしまった自分が悪いのだ。相当情けない顔をしていたのか、練は笑いながら付け足した。

「あんたも一緒に来る?」
「いいのか。組関係じゃないのか?」
「完全な私用。でも、あんたは楽しくないかも知れない」
「どこへ行くんだ」

 練はベッドからぴょんと飛び降りた。

「誠一の墓参り」



 命日、ではない。それはもう数日前に過ぎた。東日本連合会春日組大幹部・韮崎誠一の一周忌だ、大規模な法事が行われたことは捜一の麻生の耳にも入ってきている。今日は韮崎の誕生日なのだ。

「人相の悪い連中に取り囲まれてて、ゆっくり挨拶もできなかったからさ」

 練はそう言って笑った。服装も気取らないジーンズで、秋物のブルゾンを羽織っている。麻生は喪服を着ようとしたが止められてしまった。結局いつものくたびれたスーツを着て韮崎の墓の前に立っている。
 豪勢な花が両脇に供えられ、墓石はぴかぴかに磨き上げられていた。周囲には花瓶に入りきらなかった花が山のように積まれている。自分たちのように、命日当日を過ぎてから来た者もいるのかも知れない。少ししおれた花の上に、真新しい花が置かれていた。
 練はポケットから煙草を取り出して火をつけ、一口だけ吸ってから、それを線香の代わりに供えた。そして、紙袋にも入れずむき出しで持ってきた酒瓶をどんと置く。パスティスだ。

「ほんとはぶっかけてやりたいんだけど、これ度数高いし、やめとく。なんかすげえ高い墓石らしいから」

 時おり、秋の匂いをふくんだ風が二人の間を通り抜けていく。麻生は練の斜め後ろにいた。隣には並べなかった。風が吹くたびにふんわり揺れる練の毛先の動きや、香炉に置いた線香代わりの煙草が灰になっていく様子をじっと見つめていた。
 立ちすくむ練の背中は頼りなくて儚げで、後ろから抱きしめてやりたくなったが、いくらなんでも韮崎の墓前でそんなことをするほど無神経ではない。まだ呪い殺されたくはない。
 韮崎は邪魔だと判断した人間を、絶対に自分が捕まらない方法で、確実に消しながら闇の世界に君臨していた。冷徹で残忍で血も涙もない韮崎は、しかし、人を愛することのできる男だった。そして生涯でたった一度だけ、本物の恋に落ちたという。線路から拾い上げた死にぞこないの青年に惚れ抜いたのだ。

「スポーツ新聞も持ってきてやればよかったかな」
「何が好きだったんだ?」
「プロ野球。贔屓のチームが負けると俺に当たるんだぜ」

 練は喉の奥で笑った。思い出しているのだろう、スポーツニュースを見てへそを曲げる韮崎の姿を。だが、その声は震えている。ハンカチはあったかな、とポケットを探っていると、練が振り向いた。切れ長の目いっぱいに涙がたまっている。

「好き、だった」
「うん」
「好きだったんだ……すごく。もう一年経つのにしょっちゅう思い出す。嫌でも考えちまう。目に見えるもんは何も残してくれなかったくせに、誠一のやつ、想い出ばっか置いてくから」
 
 麻生は練の言葉を遮るように、その頭を引き寄せて撫でた。放っておけば、練は自分で自分を傷付ける暴言を吐きかねない。

「目に見えるもの、形のあるもの、ちゃんと残してくれたじゃないか、韮崎は」
「そんなの貰ってない」
「おまえだよ」

 顎の下あたりにある練の頭が、ぴくりと揺れた。

「韮崎が生きた証ってのは、おまえそのものだろう? 違うのか? 少なくとも俺はそう思ってる。韮崎はおまえに骨抜きになってイカれてたって話じゃないか。だったら韮崎が大事に思ってくれていたように、おまえも自分を大事にしろ。……さっさと足洗って、少しでも長生きしてくれ」
「結局それかよ」
「ああ。俺は諦めてないからな」
「いい加減しつこい」
「おまえには負けるよ」

 顔を上げた練は、もう泣いていなかった。その分スーツの襟の色が変わっている。人の服で涙を拭うのは、練の悪癖のひとつだ。

「帰るか」
「うん。でも飯は?」
「今日は家で食べよう」
「じゃ、俺が作る。なに食いたい?」
「そうだなあ」

 韮崎の墓を目に焼き付けながら、麻生は言った。

「ブイヤベース」

 end. (2008/9/22)

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