“そっちはまだ寒いですか? こっちはだいぶ暖かくなりました。これくらい”
佐藤部長代理から気まぐれに届くメールに、写真が添付されていた。
あと一歩で満開、というところの桜が画面いっぱいに表示され、自分の手の中にだけ春が訪れたような気分になる。わずかに映り込んでいる建物はもちろん東城大学医学部付属病院だ。
ははあ、佐藤ちゃん、あの渡り廊下から一番大きい木を撮ったな。そんなことまでわかってしまう自分に苦笑していると、再び携帯が震えた。
“北海道、今夜は冷えるって天気予報で言ってましたよ。ちゃんと食って、暖かくして寝てください”
速水は小さく声を出して笑った。
「お前は俺のお袋か」
思わずツッコミを入れながら、送られてきた写真をもう一度表示させる。
東城大学を離れてからまだ数ヶ月しか経っていないのに、驚くほどの勢いで懐かしさと恋しさが押し寄せてくる。あの救命救急センターで我武者羅に生きた日々が、ただの想い出では片付けられないくらいの鮮やかさで蘇り、速水は自分を誤魔化すために温くなったコーヒーを喉に流し込んだ。ともすると零れ落ちてしまいそうな、会いたい、という言葉も一緒に。
毎日あれだけ顔を突き合わせていたのだから、これを機会にしばらく離れてみるのもいいだろうとしか思っていなかったのだが、距離の壁は想像以上に厚かった。会いたい時に会えない、声が聞けない、触れられない。
そしてそれ以上に、東城大のことを考える時間が少しずつ減っていく事実に堪えた。今はもう極北大で頭がいっぱいだ。当たり前だとわかっていても、どんどん大切なものをなくしていくような気がする。向こうだって、いなくなった人間のことなんか忘れていくだろう。
らしくない。顔でも洗おうと思って腰を上げると、テーブルに置いた携帯電話がガタガタと鳴った。
“そっちの桜が満開になるころ、会いに行ってもいいですか?”
声が聞きたい。
着信履歴のボタンを押すのを何とかこらえ、「休めるものなら来てみやがれ」と打つ。
「速水先生、教授がお呼びです」
「あいよ」
速水はふと思い立ち、佐藤から送られてきた写真を待ち受け画面に設定した。
窓から見える桜の蕾はまだ固い。花ひらくまで時間がかかりそうだが、速水の足取りは軽くなっていた。
end. (2009/4/7,2011/9/22テキストページにアップ)
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