toi et moi

 工学部に工藤とそっくりな男がいる。昼休みは裏庭にいるみたいだから会いに行ってみれば。
 友人からそう聞かされたのは金曜日の朝のことだ。生まれながら好奇心は人一倍強い。そっくりとまで言われれば会わない手はないと思ったが、すぐに行動を起こすのも照れ臭くてその日は見送った。そして土日を挟んで週始めの月曜日。今日こそという決意を胸に、新一は授業終了のチャイムが鳴るのをじりじりと待った。
 入学してから日が浅いこともあり、裏庭に足を踏み入れるのは初めてだった。ピクニック気分で昼食を取る学生が中庭に集まっているのに対して、裏庭はひっそりとしている。地面にまだらの模様を描く木漏れ日が万華鏡のようで、新一は目を細めた。その光の中央に男がひとり、こちらに背を向けてベンチに座っている。何かを熱心にいじっているらしく、新一には気づかない。一歩、また一歩と近づくにつれて、心臓が高鳴ってくる。

「誰?」

 男が唐突に声を発して、新一はぎくりと足を止めた。完全に気配を消していたわけではないが、そう簡単に悟られるつもりでもなかった。ペースを乱されて僅かに焦る。それを一呼吸で取り戻し、男の真後ろまで歩を進めた。

「俺は工藤新一。お前に興味があってここへ来た」

 どういう態度で接すればいいかわからないので、ついぶっきらぼうに言い放ってしまう。男は気分を害した様子もなく楽しげに「へえ!」と言った。何だか声まで似ている気がする。正面に回り込んで顔を見たいという衝動を抑え、新一は凛とした背中を見つめた。体格もほぼ同じだろう。

「天下の高校生探偵に興味持たれちゃうなんて、俺も出世したもんだ」

 焦らしているとしか思えないゆったりとした動作で、男は立ち上がった。振り返る。目が合う。

「はじめまして、俺は黒羽快斗。夢はマジシャン。どうぞよろしく」

 自分と同じ顔が目の前で笑っている。それは新一にとって大きな衝撃だったが、さらに驚きだったのは男の顔を認めた瞬間、「やっと会えた」と感じたことだった。先走る感情に頭がついていかず、ろくに返事もできない。差し出された手を慌てて握り返してぎこちなく頷くと、男は世界で一番大切なものを見るような目をして微笑んだ。

 *

 新一と快斗が親密な関係になるのに時間は必要なかった。快斗は出会ったその日に新一の家を訪れ、1週間ほど泊まっていった。といってもひたすら話していただけだ。好きな食べ物から始まって、夜のオカズまで教え合った。死刑制度について一晩議論したこともある。ストレートな言葉で語られる思想や理想によって黒羽快斗という人間の輪郭が鮮明になっていく様は、新一の心を震わせた。
 この男が何を見て、どう思って、誰と生きてきたのか知りたくてたまらない。そして自分のことも知ってほしい。快斗も同じ願いを抱いているとわかると喜びで胸がいっぱいになった。それを恋だと自覚したのは、夜中に快斗の寝顔を見て泣きそうになったときだ。
 愛しさが先にあふれ出したのは快斗のほうで、抱きしめたのもキスをしたのも快斗からだった。新一はそのたびに打ちのめされて、昨日よりもっとずっと好きになる。愛は貪欲だ。授業を受けている時間を除けばほとんど一緒にいるのに、ぜんぜん足りないと感じてしまう。今だって時計の針が止まればいいと願ってる。

「あーくそ、時間止まってくんねえかなあ」

 肩にもたれかかる快斗がまったく同じことを言ったので、新一は思わず笑みをこぼした。

「なに笑ってんの、新一」
「や、別に。思い出し笑い」
「思い出し笑いする奴ってエロいんだぞ」
「その話、よく聞くけど根拠あんのか?」
「さあ。どーなんだろね」

 あと15分ほどで昼休みが終わる。飲食禁止の図書室は人の出入りがまばらになっていて、こそこそ会うにはうってつけの場所だ。書棚の奥で行儀悪く床に座っていても、軽口の合間に唇を触れ合わせても、咎める者はいない。ふたりが今ここにいることを知っているのは、雲の切れ間に遠く浮かぶ真昼の月だけだ。しとしとと降り続いた雨は昼前になってようやく止み、頭上の窓から弱々しい太陽の光が差し込んでいる。
 左肩にかかる重みと体温が無性に心地よくて、甘ったるい気持ちになって、新一は珍しく自ら快斗の手に触れた。すかさず絡み付いてくる指に苦笑しつつ、ぎゅっと握って顔の高さまで持ち上げてみる。快斗の爪は丁寧に手入れが施されているが、本来の形やカーブは新一のものと瓜二つだった。つくづく摩訶不思議である。

「快斗、晩飯なに食いたい」
「んーと、チキンカレーかな」
「お、いいな。帰りにスーパー寄ってくか」

 調理担当は専ら快斗だ。新一もやれば人並み以上にできるけれど、快斗のほうが器用だし楽しんでいるようなので任せてしまっている。魚料理が一切出てこない点を除けば栄養バランスは抜群で、味も普通のレストランより明らかにおいしい。快斗が料理をしている音を聞きながら本を読む時間が、新一はとても好きだった。

「なあ、土日どうする? 晴れるっぽいしどっか行く?」

 うきうきした声で尋ねてくる快斗に悪いと思いつつ、残念な知らせを口にする。

「週末は掃除しなきゃなんねーんだ。手伝ってくれ」
「掃除ぃ?」
「今朝リビングのカーペットに思いっきりコーヒーこぼしちまったんだ。それ引っぺがしてクリーニング出さねえと。一人じゃ無理だ」
「げ。あのでっけーカーペット?」
「そう。あのでっけーカーペット」

 快斗が嫌そうな顔をしたのは一瞬で、すぐに気を取り直して「せっかくなら大掃除しよう」と言い出した。

「キッチン掃除して、風呂掃除して、布団干して、カーテン洗って、窓ぜんぶ開けて空気入れ替えようぜ」
「おいおい、いくつ窓があると思ってんだよ。そんな大げさじゃなくていいっつーの」
「なんでだよ。本格的に暑くなる前にやっとこう。だって新一、真夏に掃除するの絶対嫌だろ」
「嫌だ」
「ほらな。毛布とか片づける前に次の冬が来ちゃうって」
「……じゃあその毛布出すとき、また手伝いに来いよ」
「はいはい。言われなくても出しに行きますよ。俺的にはコタツもほしいんだけどね」
「どーぞ。好きに置けば」
「マジで! やった!」

 次の季節もその次の季節も、一緒にいると信じて微塵も疑っていない。そのことに気づいた新一は、嬉しくて切なくて愛しくて、つないだままだった快斗の手をぎゅっと握りしめた。この手を離したくない、離しちゃいけない。

「大掃除、毎年しようよ。新一の誕生日と俺の誕生日の真ん中くらいかな。年末よりいいと思うんだよね」

 そうだな、と答えた声が少しだけ震えてしまった気がして、新一は咳払いをした。快斗はそれきり黙ってしまう。昼休みが終わっても動けない。快斗が「腹へった」と呟くまで、手をつないで寄り添っていた。
 今週末、工藤邸には開け放した窓から初夏の風が吹きこむだろう。記念すべき第1回目の大掃除だ。きっと汗だくになって、掃除したばかりの風呂でシャワーを浴び、宅配ピザを食べ、太陽の光をたっぷり浴びた布団の上でキスをするだろう。新一はそれを想像してわくわくする。
 まっさらなキャンバスに、歩いた軌跡で絵を描いていく。快斗と生きることは、新一にそんなイメージを抱かせた。転んでできた傷も、涙の跡も、いつか大きな絵の一部になる。そのキャンバスのどこを切り取っても快斗がいてくれたら、他に望むものはない。
 明日は何を描こうか。どんな色で染めようか。チキンカレーができ上がるのを待ちながら、新一は期待に胸を膨らませた。


end. (2012/5/17)
(toi et moi=君と僕)
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