Fall in love

軽い流血描写あり



 最初に感じたのは、熱だった。
 まず肩口が焼けるように熱くなり、白いジャケットがみるみるうちに赤く染まっていった。

「馬鹿野郎! 何をやってる! 撃つな!」

 中森警部の慌てふためく声が聞こえてくる。新米刑事が誤射でもしたんだろうか。あるいは警察に紛れ込んだ敵に命を狙われたか。幸い弾は肩をかすっただけのようだが、出血がひどい。小学校の入学式の前日、階段から転げ落ちて額を切り、母親を泣かせ、父親を出張先から飛んで帰らせたあの時よりも、断然ひどい。冷や汗が出てくらくらする。煙草の火を押し当てられてるんじゃないかと思うくらい肩が熱い。
 それでも快斗は顔に笑みを貼りつけ、煙幕と共に姿を消した。

   *

「まじ、ありえねえ、っつの」

 返事をくれる相手がいるはずもなく、悪態は荒い息と共に足元に落ちた。銃弾は思ったよりも深く肉をえぐっていたらしく、応急処置をしたあとも出血が止まらない。このまま放置していたら危険だ。しかし擦過射創なんて物騒なものを医者に見せれば、間違いなく警察に連絡される。家に帰れば母親に救急車を呼ばれてしまう。
 困り果てた快斗が向かった先は、工藤新一の家だった。あいつはきっと俺を助けるだろう、隣家には医学にも長けた科学者だっている。そんなことを考えたのは最初だけで、おぼつかない足取りで歩を進めるごとに、ただ会いたいという気持ちがふくれ上がっていった。

「くどう、しんいち」

 噛みしめるように名前を呼ぶと、想いはいっそう強くなる。
 ある薬品会社が謎の火災で全焼し、毛利探偵事務所から江戸川コナンが消えて、もう半年近く経つ。けれど彼は、以前のように自ら表舞台に立つことはなくなった。怪盗キッドの現場に足を運ぶこともない。新聞記事の写真や記者会見のニュースで、小さく端に映っているのをたまに見かける程度だ。
 すん、と洟をすすると、血の臭いで肺がいっぱいになった。久しぶりに見た鮮血は、自分が生きているということを思い知らせてくれる。それは同時に死をも連想させ、快斗は震える足を拳で叩いた。
 まだ死ねない。会いたい。今しかない。今すぐ会いたい。

   *

 次に感じたのも、やっぱり熱だった。
 全身が熱く、四肢は鉛のように重い。怪我による発熱だと思い至るまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
 きっちり巻かれた包帯の感触、高い天井、額に置かれたタオル。それらの一つひとつに意識を覚醒させられ、快斗は苦労して体を起こした。そうして枕元で見つけたあどけない寝顔に言葉を失う。快斗が横たわるベッドに突っ伏して寝息を立てていたのは、紛れもなく工藤新一その人だった。

「……なんで?」

 昨夜は途中で力尽きたはずだ。最後に見たのは工藤邸の灯りで、あと数十メートルというところで意識を失ってしまったと記憶している。それなのにこの状況は何だ。傷を手当てされた快斗は暖かいベッドの中にいて、恐らく看病に疲れた工藤新一が枕元で眠っている。夢か幻か。どっちだっていい。いま快斗の目の前に新一がいることは真実なのだから。
 そっと顔を覗くと、自分と同じかたちの瞼や耳や鼻が見えた。それらを利用して何度も変装してきたくせに、いざ目の当たりにすると奇跡とか運命なんじゃないかという気がしてくる。ただし近くで見るとぜんぜん違う。たとえば同じかたちをしたサファイアとブルーダイヤモンド。たとえば夜明け前と日没後の空。似ているように見えるけれど、色も輝きも違うものだ。

「すげえ、きれい」

 思わず口に出していた。工藤新一の顔を目にするのは初めてだった。このサイズの彼には初めて会ったのだ。
 以前、快斗が時計台を盗むと予告した時に一度やり合ったことがあるものの、その相手が工藤新一だったと知ったのはずっとあとになってからだ。今回が最初の対面だと言っていいだろう。
 鼓動が高鳴る。鮮やかに強烈に、今という瞬間が胸に刻み込まれる。新鮮なのにどこか懐かしいような想いもせり上がってきて、快斗はなぜか泣きたくなった。いつだって二人の時が重なり合うのはほんの一瞬で、しかもお互い嘘で塗り固めたみたいな姿だったから、こんなに穏やかな朝を迎える日が来るなんて思わなかった。

「……どうしよう」

 何から話そう、どうやって伝えよう。
 あたふたしているうちに新一は目を覚まし、寝ぼけ眼で快斗を見た。ほんの少し首をかしげる。前髪がふわりと揺れる。一秒一秒がとてつもなく重要に感じられて、瞬きの間すらもったいない。

「おはよう」

 新一はそう挨拶して、照れた顔と困った顔の真ん中くらいの表情で柔らかく笑う。
 ずっとずっと好きだった相手に、快斗は一目惚れをしたのだった。


end. (2009/6/21)
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