スタートライン


 高校は出ろ、というのは赤ん坊の教育方針だ。その理由がただ単に知識を詰め込むためだとは思えなかったけれど、彼は本当のことを言わなかったし、僕も聞かなかった。血生臭い世界へ足を踏み入れる前の最後の猶予期間なのか、心変わりしないかどうか試されているのか、短い青春を謳歌できるようにという心配りなのか。とにかく寿命が3年延びたことだけは確かだ。
 僕は義務教育課程を修了したあと、並盛中に程近い、偏差値が高くも低くもないごく普通の高校に入学した。翌年には沢田綱吉だとか獄寺隼人だとか山本武だとか、見知った奴らがぞろぞろ入ってきた。草壁もだ。僕は穏やかで退屈な1年と、騒がしくて飽きのこない2年を高校で過ごした。そして今日、卒業する。

「恭弥、おまえ式にも出ないで何やってるんだよ!」

 階段を駆け上がる靴音が聞こえた時から嫌な予感がしていたが、それは見事に的中した。

「昼寝」

 僕はごろりと体を回転させて、ディーノから逃れるように寝返りを打った。春の日差しはまだ弱々しく、屋上のコンクリートはひんやりしている。

「そうじゃなくて……まず起きろ。風邪ひくだろ」
「ひかないよ。あなたとは違うからね」
「……それは遠回しに俺が馬鹿だって言ってんのか?」
「さあ」

 ふっと陽がかげる。ディーノが枕元に移動したのだろう。しぶしぶ瞼を持ち上げると、予想通りディーノがしゃがんで僕の顔を覗き込んでいる。金色の髪は柔らかな光に照らされて、空の青を背景に輝きを増していた。覚醒したばかりの目には少し眩しい。
 派手な顔の次に僕の注意を引いたのは、ディーノの脇に抱えられた巨大な花束だった。高そうな花がふんだんに取り入れられたそれは、卒業祝いにしても些か大げさすぎるように感じる。

「あなた、それ持ち歩いて僕を探してたの?」
「おう。ちょっとしおれちまったけど、花瓶に生ければ大丈夫だろ」

 最悪だ。風貌も言動もやかましい外国人が、こんなに目立つアイテムを携えて校内を徘徊するのを許してしまったとは。当然のことながら高校でも風紀委員長を務めている僕は、勢いよく起き上がってディーノの頬をつねった。

「いててててて」
「あなたは存在自体が風紀を乱すね」
「ごめんなさい、すいません」

 目に涙が溜まってきたから、さすがに勘弁してやる。

「何時の便だっけ」

 突然の話題転換にもさして驚かず、ディーノは頬をさすりながら「13時」と言った。あと3時間もない。
 ディーノは僕を迎えに来たのだ。そして二人でイタリアに向かう。これから1年間、沢田たちが高校を卒業するまで、僕は一足先にキャバッローネの下っ端として駆けずり回ることになる。

「さっきリボーンに会ったんだけど、また釘を刺されたよ。ヒバリは貸すだけだ、1年たったら返せってな」
「人を物みたいに言わないでよね」
「悪い。……なあ恭弥、後悔してる?」
「何を?」
「こっち側に来ることを」

 校庭がわっと騒がしくなった。式典が終わり、生徒たちが体育館から飛び出してきたのだろう。僕は群れを片っ端から咬み殺してやりたいという衝動を抑え、ディーノの目を見つめた。そこに駆け引きめいたものは浮かんでいない。

「まさか。もう荷物送っちゃったよ。部屋だって解約したから空っぽだし」

 とは言っても、僕の持ち物など高が知れてる。事実、スーツケーツひとつに収まってしまった。

「そっか。そうだよな。……恭弥、日本が好きか?」
「好きだけど」
「並盛は?」
「好きだよ」
「俺のことは?」
「なに言わせようとしてるの」

 ディーノは「残念」と笑いながら僕を抱きしめた。それから耳元で「ごめんな」。

「僕が自分で決めたんだよ」

 積み重ねてきた毎日よりも、あなたを選んだことは。
 金髪にくすぐられて思わず身をすくめると、ディーノの目に不安が浮かんだ。僕がキスを避けたと勘違いしたらしい。愛らしい思い違いに僕は小さく笑って、ためらいがちな唇に咬みついた。

 end. (2008/11/13)

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