カウントダウン


 愛用のセミ・オートマチックを懐に忍ばせて、僕はディーノに会いにいく。目的はただひとつ、ディーノの息の根を止めることだ。
 戦況がミルフィオーレに有利に傾いてから十日、ボンゴレは限界を迎えようとしていた。ボスである沢田綱吉が人質になっていることが発覚し、ボンゴレ壊滅という言葉が現実味を帯びてくると、白蘭はある取り引きを持ちかけてきた。

「君たちの手でキャバッローネの十代目を殺してよ。そうすれば戦いは終わりにする。いま生きてる奴らの命は助けてやってもいい。できなかった時のことって、説明した方がいいのかな?」

 助ける、なんて嘘に決まってる。しばらく生かされたとしても、ボンゴレ側の人間はひとり残らず消されるだろう。キャバッローネも同様だ。白蘭はディーノを危険視していたらしいとも聞いている。潰し合いをさせることで真の絶望を味わわせ、精神面さえも支配するつもりなのか。

「……馬鹿馬鹿しい」

 呟いたつもりだったが、実際は喉に声が引っかかって吐息にしかならなかった。外気温は低く、吐き出す息が白く染まり闇に溶けていく。微かな震えは、きっと寒さのせいだ。
 やってくれるか、と言った時の赤ん坊は、さすがにひどい顔をしていた。やるかやらないか、ではない。誰がやるか、から話は始まった。僕らに拒否権は存在しなかった。残された道はひとつだとわかっていても、頷くのにずいぶん時間がかかってしまった気がする。その日はなかなか眠れなかった。昨日は一睡もできなかった。
 朦朧とする頭を振って、ディーノが身を隠している部屋のドアをノックする。いつもの沈黙のあと、細く開いた隙間から慣れた匂いと気配が伝わってきた。

「恭弥」

 何日もかけて自分に言い聞かせ、納得させたつもりなのに、声を聞くだけでぐらぐらと決心が揺らぐ。

「……いま、ひとり?」
「ああ」

 後ろ手で鍵を閉めながら、部屋の中を観察した。部下は誰もいない。非常時にも関わらず、テーブルにはグラッパのボトルとグラス。ディーノは酒に呑まれることがほとんどないから、泥酔したところを始末するというわけにはいかないだろうけど、それでも良すぎるほどに都合がいい。

「ツナは無事なのか」
「昼過ぎに白蘭が映像を送ってきた時点では生きてたよ」
「リボーンは」
「元気そうに振る舞ってる」
「そうか」

 どさりとソファに腰を下ろし、ディーノは一気にグラスを煽った。端整な顔には疲労が色濃く影を落としていたが、それすらも彼の魅力を引き出す一因となっている。まるで奇跡の塊みたいに綺麗だと思う。

「どうした? 座れよ」

 促されてソファに歩み寄ると、刺青の腕が伸びてきた。おとなしく捕らわれてやる。

「ふたりで会うの、久しぶりだな」
「そうだね」

 酒臭い息が不快だ。容赦なく顔を背けてみても、抱きすくめられていては容易に顎を取られてしまう。少しばかり強引に侵入してきた舌には予想以上に酒が染み付いていた。もしかして今夜は、この人にしては珍しく酔っているのかもしれない。
 キスの延長で行為に及ぶのかと思いきや、ディーノは僕の肩口に頭を押しつけて動かなくなった。

「……恭弥」
「なに」
「恭弥」
「なにって聞いてる」
「ごめん」
「だから、なにが」
「……眠い」

 そう言ったとたん、肩にかかる体重がずしりと増えた。そのままずるずると体を移動させ、僕の膝の上に頭を乗せて目を閉じてしまう。膝枕、というやつだ。

「ちょっと、重いんだけど」
「わりい。ここ何日かまともに寝てなくて、なんか恭弥の顔みたら気ぃ抜けた」
「だったら、ベッドでちゃんと休んだ方がいいんじゃない」
「これがいいんだよ。そうだな、一時間したら起こしてくれ。来たばっかりなのにごめんな、恭弥」

 言うだけ言って、ディーノは穏やかな寝息を立て始めた。それと反比例するかのように、僕の心臓は激しく高鳴っていく。これはチャンスだ。ディーノを葬るための、千載一遇のチャンスだ。

「……ディーノ?」

 試しに名前を呼んでみる。身じろぎひとつ、する気配はない。
 起きている時より少しだけ幼くなる寝顔は、十年前のふたりを思い起こさせた。愛の大安売りをするディーノと、どうしても首を縦に振れない僕。ちぐはぐで、ひどく幼い恋愛だった。昔に比べると今はだいぶ成長したのではないかと感じている。ディーノは「愛してる」の使い方が上手くなったし、僕は素直に「うん」と言えるようになったのだから。
 それでも、会うたびに恋に堕ちる感覚は変わらない。愛しさの限界だって毎日更新されていく。僕はディーノが好きで好きで好きで、ディーノだってたぶん絶対に僕を愛していて、だけど、と考えたところで涙が零れた。滴り落ちないように手の甲で拭う。

(ごめんなさい)

 内ポケットから小型の拳銃を取り出した。弾はすでに装填してある。あとは引き金を引くだけですべてが終わる。標的はこんなに傍にいて、しかも眠っているというのに、どんな殺しをした時よりも手が震えた。
 早く、早くやらなければ。今ならディーノは眠ったまま安らかに逝くことができる。死ぬほど悩んだのだ、ここにきて何をためらう必要がある。もし僕がやらなかったとしても、近い未来にみんな消される。他の人間に殺されるくらいなら自分の手で、そう決めたじゃないか。

(先に待ってて)

 引き金に指を添える。愛しい人に銃口を向ける。
 目を閉じて数を数えて、ゼロになったら、きっと。

(Cinque)

 甘くて低くて温かい声、
 
(Quattro)

 身体に刻まれたボスの証、

(Tre)

 部下がいないと失敗ばかりする厄介な性格、

(Due)

 太陽みたいに輝く金色の髪、

(Uno)

 好きなところも嫌いなところも、ぜんぶぜんぶ愛してる。
 
(Zero)

 ゼロの呟きに重なって、ディーノに名前を呼ばれた気がした。

 end. (2008/5/29)

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