Do you know? (side-H)


 イタリアに帰る日の朝、ディーノは僕を起こさずにホテルの部屋を出ていく。
 声を耳にしたら我慢できないから、見送られたら名残惜しくて帰れないからだと以前聞いたことがある。それ以来、ディーノが発つ日の朝に限って、僕は寝たふりをすると決めているのだ。

 上半身に絡みついていた逞しい腕がそっと外され、ベッドのスプリングがわずかに軋んだ。ほんの少しの刺激で目が覚める。出発前夜など、深い眠りにつけるわけがない。
 狸寝入りを決め込む僕の顔にディーノの視線が注がれているのを感じて、愛しさがこみ上げてきた。目を開けてしまいたいという衝動にかられるけれど、それを全力で押し殺す。

 だって今ディーノの顔を見たら、僕はきっと「行かないで」と言ってしまう。

 金色の髪、白い肌、茶色い瞳、派手な刺青。ディーノを彩る一つひとつが瞼の裏に浮かんできて、胸が苦しくなった。こんなにもはっきりと覚えてる、魂に焼きついている。
 人をこれほどまでに愛せるということを、僕はディーノと出会って初めて知った。明け方の空の美しさも、ナイフとフォークの使い方も、胸がちぎれるような切なさも、愛の確かめ方も、全部ディーノが教えてくれた。
 会うたびに忘れたくない想い出が増えていって、どこを切り取っても、たった一人の存在で埋め尽くされている。出会わなかったら、別れることになったら、そんなの考える暇もない。
 ディーノの指が、ふいに僕の頬を撫でた。びくりと反応してしまった気がする。寝たふりをしていることがバレなければいいけど。

「……恭弥」

 囁くように名前を呼ばれ、今度こそ目を開けてしまいそうになった。あとからあとから愛しさが溢れてきて、心が決壊してしまうんじゃないかと思う。

「愛してるよ」

 僕の頬に優しく唇を押し当ててから、ディーノはようやくベッドを抜け出した。シャワーを浴びてスーツに身を包み、これ以上僕には触れずに出ていくんだろう。
 ディーノの気配と香水の匂いを感じながら、僕は涙をこらえてひたすら寝たふりをする。自分自身すら持て余してしまうほどの想いを抱えて、今回の逢瀬で共有できる最後の時間を噛みしめる。
 しばらくして、重いドアを開くガチャリという音が響いた。そして暫しの無音。確かめたことはないけれど、きっとディーノは振り返って僕を見つめているんだろう。
 ドアが静かに閉められ、部屋には完全な静寂が訪れた。僕は知らず知らずのうちにつめていた息をゆっくりと吐き出す。まだかすかに温かいシーツに体を寄せると、香水の残り香が鼻を掠めて涙が零れた。

 ねえディーノ、僕がどれほどあなたを愛してるか、知っているの。

 end.

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