最期の願い


 仕事がうまくいかないとき、忠誠心のない部下が裏切ったとき、僕が気に入らない行動を取ったとき。そういう日の夜、ディーノはいつもと違うやりかたで愛を確かめようとする。
 それは大抵、僕に目隠しをしたり手足をロープで縛ったりする程度だった。暴力をふるわれたことはない。ディーノは僕の顔をとても気に入ってるから、傷つけるのが嫌なんだろう。
 けれど、あの夜のディーノは明らかにどうかしていた。僕も普通じゃなかった。お互いあんまりにも狂おしくて、物理的にも精神的にも苦しかったのを覚えている。ディーノが好きで好きで、本当に息がつまった。

「ん、や……っ」
「今、ゆび何本か当ててみな」
「……さ、さん、ほん」
「あたり。いい子だな、恭弥は」

 ご褒美とばかりに連続して前立腺を刺激され、僕はあられもない声をあげた。快感を押し殺すことを、ディーノは望まない。気持ちがいいのなら声を出せ、もっとよくなるように腰を振れ、という。
 だからその通りにしている。それだけだ。僕にとって、ディーノの言葉は神のお告げよりも遥かに大事なものだった。

「恭弥、愛してるよ」

 僕の耳朶を舐めながら、ディーノはひたすら繰り返す。まるで洗脳するかのようだ。そんなに何度も言わなくても、僕にはディーノだけなのに。
 愛の告白をされているにも関わらず、悲しくなるのはなぜだろう。ディーノは僕を愛していて、もちろん僕もディーノを愛している。それなのに、迷子みたいな気持ちになってしまうのはどうしてなんだろうか。

「おまえ考え事してるだろ。集中しろよ」

 突然指を抜かれ、心もとなさに震える。ディーノの機嫌を損ねてしまったのかと心配したが、そうではなかったらしい。うつぶせにされると同時に、腰を持ち上げられる。ディーノが入ってくると考えただけで、胸が熱くなった。早く奥まで突いてほしい、中にいっぱい出してほしい。
 しかし、挿入されたのはディーノではなかった。硬くて冷たくて、無機質な人工物。予想外の出来事に驚いて起き上がろうとしたけれど、すぐに押さえつけられてしまった。

「や、冷たいっ」
「ちょっと我慢な」
「なに、なに入れてんの……っ」
「んー? さっきみたく当ててみろよ」
「やだ、わかんない」

 ディーノはいつだって、彼自身を僕の中に挿入した。他のなにか、たとえば振動するおもちゃを入れたことなんか一度もなかったんだ。
 僕はこの状況に少なからず傷つき、シーツに顔をうずめた。しかし異物が中に入ってくる刺激から逃れることはできなくて、体がびくびくと跳ねる。感情とは無関係に快感を拾い上げる。

「全部はいったぜ」

 満足げな声にも反応を返さずにいると、僕の様子に気づいたのか、機嫌を取るかのように胸元に手が伸びてきた。乳首を摘まれ異物で中を掻き回されると、嫌でも声が出てしまう。

「んっ、あ……!」
「なあ。恭弥のココに何はいってんのか、教えてやろうか」

 僕はがくがくと首を振った。背後から覆いかぶさってきたディーノが、内緒話をする子供みたいに囁く。

「ベレッタだよ」

 ディーノの愛用する拳銃だった。

「や……っ、やだやだっ、やめて!」
「こら、あんま暴れんな。危ねえだろ」

 危ないのはどっちだ。そう叫びたいのをこらえて、僕は顔面蒼白になりながらディーノに縋った。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 やっぱり僕はディーノを怒らせてしまっていたんだ。早く許してもらわなければ。この人に捨てられたら、僕は生きる意味がなくなる。

「ディ……ノ、ごめ、ごめんなさ……っ、」
「なんのことだよ。俺は別に怒ってねえぞ」
「じゃ……なん、で」

 なんとか会話をするものの、どうしても下半身に気を取られた。この圧迫感、異物感。拳銃が体内に埋め込まれているという信じがたい事実を、ひっきりなしに伝えてくる。
 ついさっきまでそそり立っていた僕の前は、力を失って完全に萎えていた。全身わななくような恐怖に襲われて、歯の根がかちかちと鳴る。いつまでもこの状態が続けば、射精どころか失禁でもしてしまいそうだ。

「なんで? そりゃー恭弥のこと殺したいほど愛してるから、かな」

 ディーノは本気だ。一瞬で悟った。殺される。

「いつまでも汚え言葉吐きやがる奴の口に銃つっこんで殺したことはあるけど、さすがにこれは初めてだな」

 仰向けに体を反転させられながら、僕は意識を手放したくなった。ディーノは至極真面目な顔で見下ろしてくる。冗談でも遊びでもないと、僕とは違う色の目が雄弁に語っていた。

「まあ恭弥以外の人間の尻なんざ、見たくもねえけどよ」

 ディーノは口を歪めて笑った。ここは喜ぶべきところなのか。あまりの恐怖に、うまくものを考えられない。
 のしかかってキスをしてくるディーノの顔を、焦点の定まらない目で見つめた。信頼する部下に、同盟を結んだファミリーに向けられる笑顔とはかけ離れた、残酷で冷淡な顔だ。しかし同時に、ひどく美しい。
 僕はディーノの笑顔が仮面だということを知っている。それが取り払われるのは、僕とセックスする間だけだ。初めてそのことに気づいたときは、身震いするほど嬉しかった。

「愛してるよ。恭弥のこと、殺しちまいたいくらい愛してる」

 拳銃がさらに奥へと突きこまれた。ディーノが人差し指にほんの少し力を加えるだけで、僕はあっけなく死ぬ。脳髄がしびれるような恐怖に犯され、指先ひとつ動かすことができない。

「好きだ。好きなんだよ、きょうや……っ」

 呻くように名前を呼びながら、ディーノは鉄の塊から手を離した。両手で僕を抱きしめる。結構な重さを持つ拳銃は支えを失い、体の中からずるりと滑り落ちていった。
 気が遠くなるほどの安堵と喪失感に襲われて、目が眩む。さっきまで死にたくないと懇願していたのに、「殺してくれなかった」とほんの少しでも思う僕はおかしいのだろうか。
 僕を殺したいほど愛してるというディーノ、ディーノに殺されたいと密やかに願ってしまう僕。正しいのはどっち、間違ってるのはどっち?

「恭弥、俺は本当におまえだけだから。嘘じゃない」

 疑ってなんかいないのに、この人はどうして弁解めいた言葉を吐くんだろう。そう思いながら広い背中に腕を回した。

「わかってるよ」
「わかってねえよ、ぜんぜん」
「僕がわかってないってことが、なんであなたにわかるの」

 問いかけには答えず、ディーノは苛々した様子で僕の顎をつかんだ。キスとも呼べない激しさで唇を貪られる。しかしそれには従わず、力いっぱい胸を押しやった。

「恭弥?」

 戸惑いを含んだ声を無視して体を起こし、全裸でベッドの上に座り込んだ。足の間に落ちていた拳銃を拾い上げる。いろんな液体でべとべとだ。銃口を舐めると、ディーノの精液の味がした。
 幾人もの命を奪ってきただろうベレッタを手に、ディーノの方へと向き直った。訝しげな視線を向けられる。

「殺してよ」
「……おまえ、」
「僕のこと、殺したいほど愛してるんでしょう。ちゃんとわかってる。それに僕だってあなたのこと愛してるよ。殺されてもいいくらいにね」

 ディーノが欲情する、いちばん淫靡な表情を作って笑いかけた。拳銃を握らせてから肩に顔をうずめる。
 すると間髪を入れず、体が弾むほどの勢いで再びベッドに押し倒された。僕は今夜ほんとうに殺されるかもしれない。この鉄の塊のように冷たくなってしまうかもしれない。けれど、死ぬことでディーノに愛が伝わるのならそれもいいかと思えてきた。そうだ、僕はこの人に命がけで恋をしていたんだ。
 恐れる必要はない。だって僕にはディーノ以外に失うものなどないんだから。

「ねえ、僕が死んだらイタリアに埋めてね」

 キスの合間に囁いた最期の願い。ディーノは叶えてくれるだろうか。

 end.

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