もともと不可能だったのだ。五千のファミリーを抱えるボス・ディーノと、マフィアの一構成員でしかない僕が付き合うことなど。
「――ごめん」
「もういいよ」
でもごめん、そう繰り返すディーノの言葉を受け流し、僕は何でもないふうを装ってベッドから下りた。冷たいミネラルウォーターを飲むと、頭がすうっと冴えた気がする。
このまま冷静でいなければいけない。妙なことを口走る前に、さっさとさよならを言ってしまえばいい。
半年ぶりに再会を果たした僕らは、挨拶も近況報告もすっ飛ばしてホテルの一室になだれ込んだ。ほんの三時間ほど前の話だ。
服を脱ぐ時間すらもったいなくて、不自然に着衣したまま繋がった。体中の細胞が満たされていくのを感じて、自分がいかにこの男を求めていたのかを知った。名前と共に愛してると囁かれると、今なら死んでもいいと、本気でそう思えた。
「なあ恭弥、わかるだろ?」
ディーノが僕を第一に考えて別れを切り出したことは、嫌というほど分かっている。いつかはこうなると予想していたけれど、あまりの唐突さに目の前が真っ暗になった。死刑宣告を下された囚人はこんな気分なのだろうか。
「わかるよ。でも別れるつもりならどうして抱いたりしたわけ? 信じられない」
天国を見せたあと地獄に突き落とすなんて、あんまりだ。
「ごめん、ごめんな。恭弥の顔みて声きいたら、とまんなくなった」
ディーノの声が思いのほか震えていて、驚いた僕は勢いよく振り返った。ベッドに腰かけてうなだれるディーノは、手の平で顔を覆っている。その指の隙間から流れ落ちる雫が目に入り、愕然とした。
「な……に、あなた、なんでそんな、」
「おれもうダメなんだよ、恭弥が好きで、好きすぎて」
固まったままの両足を苦労して動かし、ディーノのもとへと歩み寄った。金色の頭を見下ろしながら唇を噛む。いろんな感情が溢れてきて、どうすればいいか分からない僕は再び立ちすくんだ。
「きょうや、ごめんな。こんなに好きになってごめん。巻き込んでごめん」
――ああディーノ、そんなに泣かないでったら。あなた全然見えないけどマフィアのボスなんでしょう、しっかりしてないと部下たちが不安になるよ。
「初めて会った日からずっと、恭弥しか見てない。恭弥しか見えない」
――僕らの関係にピリオドを打とうとしているのはあなたの方なのに、どうしてそんなに悲しむの。こっちが泣く暇なんて少しもないじゃない。
「ごめんな恭弥、愛してる。だから、」
涙に濡れたディーノの手が伸びてきて、僕を引き寄せる。大好きな甘いテノールが心地よく耳に届いた。
「別れよう」
愛の告白と同じように、優しく囁かれた別離の言葉。そのどちらもが愛おしくて大切で、たまらない気持ちになった。愛も別れも歓喜も苦しみも、ディーノが与えるものならば何だって受け止めたい。
うまく伝えられたことなんて一度もないけれど、僕はディーノを愛してる。だからすべてを赦す。これが僕にできる最後の愛情表現だから。
「……ディーノ、泣かないで」
夜明けが刻々と近づく薄暗い部屋に、恋人だった人の嗚咽が響いた。
end.
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