天邪鬼


 ディーノ。
 彼と共に過ごした日々は一年にも満たなかったけれど、その数ヶ月は僕の人生の中で強烈な色を放っている。脳に心に焼きついて、決して忘れさせてくれない。
 幸せ、絶望、愛、憎悪、にも似たもの。彼には本当に沢山のことを教わった。こうして振り返ってみると、案外優秀な家庭教師だったのかなとも思う。けれど僕の中でのディーノは、恩師などという肩書きではない。今も昔も、たった一人の狡い男としてこの心に居座り続けている。

「恭弥!」
「……久しぶり」

 キャバッローネの管轄地で仕事を終えた僕に、わざわざディーノが会いに来た。少しも予想していなかったわけではないものの、あまりにも突然の再会に、強靭だとばかり思っていた心が脆く砕け散っていく。もちろん、動揺を悟られないように努力はした。きっと彼にはお見通しだっただろうけど。

「十年ぶりだぜ! 久しぶりなんてもんじゃねえよ。会えてよかった」
「そう」
「大人っぽくなったなあ、恭弥。背、すげー伸びてる。すっかり一人前になっちまいやがって」

 そっけない僕の返事など歯牙にもかけず、ディーノはマフィアのボスらしからぬ無邪気さで笑った。まぶしくて眩暈がする。
 この笑顔は、本来ならば誰に向けられるべきものなんだろう。やはり愛し愛される人がいるのだろうか。僕にしたのと同じように、僕以外を抱くのだろうか。考え出すと止まらなくて、爪が食い込むのも構わず拳を強く握りしめた。

「……あなたは相変わらずだね」
「まあな。つーか腹減っただろ? 食事用意させてあるから一緒に食おう」
「いい。いらない」
「んなこと言うなって」
「予定だともうすぐ帰る時間なんだ。邪魔しないでくれる」
「もう一泊してけよ」

 「ツナは了解済み」と言って笑みを浮かべるディーノを睨みつける。必死で突っぱねていないと、足元から崩れ落ちてしまいそうで恐かった。昔の男に流されてたまるかと、必死でいつもの「雲雀恭弥」らしくあろうとした。
 けれど無情にも、ディーノのすべてが邪魔をする。低くて甘い声、優しい視線、微かに香る香水。それらが一斉に揺さぶりをかけて、僕の決意を壊していく。この人に抗うなんて無理だという事実に改めて気づき、やるせなさと止められない愛しさが溢れる不思議な感覚を味わった。

「せっかくだから飯だけでも。な?」

 部下の目もあり断り切れない。必要以上に拒絶するのも不自然だと判断し、小さな声で「食事だけなら」と呟いた。今日引き連れている部下たちは、十年前、僕らがどういう関係だったか知らないのだ。
 僕のOKを確認すると、ディーノはすぐさま側近に合図をした。二人きりで狭い部屋に取り残された途端、どうしようもない息苦しさに襲われる。この部屋だけ酸素が薄くなったんじゃないかと疑いたくなるほどだ。

「恭弥、レストランよりルームサービスの方がいいだろ? 一番上の階、取ってあるから行こう」

 ディーノが先に歩き出してほっとしたのも束の間、その広い背中を目にしたらたまらない気持ちになった。十年前も、僕は部屋を出ていくディーノの背中を見つめていた。縋りつき、行かないでと叫びたかったけれど、あの時は幼すぎて何もできなかった。
 じゃあ今は? 僕はどうしたいんだろう? ディーノの考えどころか自分の気持ちさえ分からなくて、途方に暮れる。一歩も歩くことができない。

(ディーノ)

 口に出したら取り返しがつかなくなってしまいそうで、名前を呼ぶことすらためらう。それでもディーノは振り向いた。僕の心の声が聞こえたのかと思うほどのタイミングで。

「どした? 恭弥」
「なん、でもな……」
「泣きそうな顔、してんぞ」

 指摘された途端、目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。駄目だ限界、食事は断ってすぐに帰ろう。僕はこの人と会うべきじゃなかったんだ。
 いくら後悔しても遅かった。涙を拭う優しい手を、振り払うことができない。

「も……ほっといて。僕に構わないで」
「お前いつも言ってたよなあ、その台詞」

 ディーノは苦笑いしながら屈んで、僕と顔の位置を合わせた。ディーノの目には僕が、僕の目にはディーノが映っているはずだ。まるでキスをする直前の恋人同士のようで、ひどく狼狽した。
 甘い期待と共に、胸の高鳴りが加速していく。もう誰も好きにならないとあれほど誓ったはずなのに、僕は同じ相手にもう一度恋しそうになっている。この想いを素直に伝えられたら、十年前も本当は引き止めたかったと打ち明けてしまえたら、どんなにいいだろう。

「ぼくは、」
 
 あなたなんか大嫌い。
 正反対の言葉しか吐けないこの口が恨めしくて、血が出るまで噛みしめた。

 end.

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