give,give,give


 日本に渡ってきた白蘭さんが求めたのは、壁も天井も真っ白な個室だった。
 レオナルドの一件で懲りたのか面倒になったのか、もう世話係もいらないと言っていたから、この部屋にいるのは白蘭さんだけのはずだ。合鍵をもらった僕以外、足を踏み入れることすらできないはずなのに、どうして他の人間が服も着ずにベッドにいるんだろう。

「……スパナ、何してるんだ、お前」

 声が震えて情けないと思ったけれど、取り繕うこともできない。スパナは床に落ちた服を拾って身につけ、目を合わせないまま部屋を出て行こうとする。立ち尽くした僕の横をすり抜ける時、スパナの体から白蘭さんの香りがして、カッと頭に血が上った。

「答えろ。何してたんだよ!」
「正チャン、そんなに怒んないでよ。目ぇ覚めちゃった」

 ベッドの上から、底抜けに能天気な声が聞こえてきた。白い部屋の中央で純白のシーツにくるまる白蘭さんは、鳥肌が立つほどに美しい。一瞬見とれそうになったけれど、それどころじゃないと思い出し、慌ててスパナの肩を掴んだ。
 棒付きの飴を口に加えて、うんざりの一歩手前のような顔を向けられる。上司に物怖じしない態度と機械に対する情熱を買っていたが、まさかスパナを巻き込んで痴話喧嘩する羽目になるとは思わなかった。

「怒りますよ! だって、なにやって、」
「何って、子供じゃないから分かるでしょ? 正チャンだって昨日したじゃない」

 怒りを通り越してあきれ返った。普通ここでそんな物言いをするだろうか。白蘭という人間が理解できない。まるで宇宙人だ。

「そっ、そういうこと大声で言わないでください!」
「正チャンの声の方が大きいよ」
「白蘭さんが変なこと言うからでしょう!」
「変じゃないよ。スパナとしたけど、正チャンともしたじゃん。おんなじでしょ」

 どうして怒るのとでも言いそうな白蘭さんを見て、泣きたくなった。僕らは恋人なんかじゃない、だからこれは浮気でも何でもない。その事実を改めて突きつけられて、胸がつぶれそうになった。
 空港で再会を果たすなり「会いたかった」と抱きしめられて、久しぶりに夜を共にして、舞い上がりすぎていたのかもしれない。恥ずかしさと悔しさと切なさがせめぎ合い、涙へと形を変えて溢れてくる。

「正チャン、泣かないで」
「だ……誰の、せいだと、」
「ごめんね。ほら、こっちおいで」

 スパナの目が気になってちらりと後ろを振り向くと、すでにその姿はなかった。これ以上揉め事に巻き込まれるのはごめんだと判断して逃げ出したんだろう。かえってありがたかった。
 ベッドの周りには、スパナが舐めた飴の棒が煙草の吸殻のように散らばっていた。それを踏みつけ、両手を広げた白蘭さんの胸に飛び込む。

「なんか今日は素直だね、正チャン」
「泣いてるとこ、見られたく、ない、んです……っ」
「なんで? 見せてよ。見たい」

 やんわりと体を押しやり、白蘭さんは僕の頬を両手で包んだ。眼鏡も外される。近眼と涙のせいで、視界は最悪だ。真っ白い世界が揺らめき滲んでいる。
 顔を背けようとしたら、目元を舐められた。この舌でスパナを気持ちよくさせたのかと思うと余計に涙が出てくる。いくら拭っても僕が泣き止まないものだから、白蘭さんは「しょっぱい」と笑った。

「こんなに泣かなくてもさ、正チャンは僕のいちばん大事な部下だよ」
「知ってます」
「お、言うね」

 部下以上でも以下でもない。部下としてでなければ、僕は白蘭さんと繋がっていることができないのだ。

「僕はね、正チャンが必要なの。正チャンじゃなきゃ意味がないんだよ」
「……はい」

 勘違いしそうになる甘い台詞に、心臓を掴まれ揺さぶられる。すべては任務遂行のためだと分かっているけれど、仕事だと割り切るには僕は白蘭さんを好きになりすぎていた。もう引き返すことはできない。どうしても期待してしまう。願ってしまう。

「好きだよ、正チャン。大好き」

 頑張るから、もっともっと頑張るから、だから部下じゃなくて、一人の人間として僕のことを好きだと言ってくれますか。
 衝動に任せて吐き出そうとした言葉は、キスに呑み込まれた。気付けばベッドに組み敷かれ、白蘭さんを仰ぎ見る形になっている。

「……ね、」
「うん?」
「眼鏡、返してください」
「やだ」
「ちゃんと見たいんです。あなたの顔が」
「……やだ。ずるいよ、それ」

 シーツの波にさらわれながら、溜め息をついて諦めた。無色だった僕の世界が、目を閉じても残像が残るほどの白に侵食されている。食い尽くされてもいい、利用するだけ利用して捨てられても構わない、そう思っていられたのは最初だけだった。
 本当に愛していれば与えられなくても満足できると聞いたことがあるけれど、僕はそんなに綺麗な心を持ち合わせていない。愛した分だけ愛されたい。与えるばかりでは枯れてしまう。

「正チャン」
「……なんですか」
「全部うまくいったら、二人でイタリアに帰ろうね」

 残酷すぎる言葉すら喜んでしまう自分が、憎い。

 end.

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